組紐の昔と今
17-01-25
Knotのストラップの中でも人気の高い、組紐。鮮やかな糸の交差で作られる、美しい模様が特徴の日本情緒溢れる紐です。この古くから日本で受け継がれてきた伝統工芸は、どのようにして発展を遂げてきたのでしょうか。その歴史をたどりました。
男性のお洒落アイテムだった組紐
そもそも組紐とは、3本以上の縦糸の束を順番に交差させて組み上げてつくる紐のことで、組みのパターンや束の本数が増えるほど、文様はより複雑かつ鮮やかになっていきます。こうした装飾性の高い紐文化は、おそらく日本独自のものといわれています。
近年では、和装の帯締めなど女性の装飾品や祇園祭の鉾を彩る飾り結びなどに使われているイメージが強いですが、じつは誕生してから長い間、階級社会における実用的な男性のファッションアイテムとして発展を遂げてきました。
日本の紐文化の歴史は、縄文時代まで遡ります。縄文土器の文様にも使われていた、2本の糸の束をより合わせて作る簡単な縄がそのはじまり。奈良時代になると、大陸へ渡った日本人が複数の糸の束を組んで作る組紐の文化を持ち帰り、男性の服飾小物に取り入れられました。聖徳太子の肖像画で有名な「唐本御影」にも、刀を腰から下げるための紐、通称「佩緒(はきお)」として使われている様子が描かれています。当時は、刀とともに金でできた目付けと呼ばれるチャームを腰からぶら下げる装飾文化があり、その紐として使用されていたのです。
また、身分階級によって服の色が決まっていたため、自由に配色を選べる組紐が個性を出すためのファッションアイテムとして活躍しました。形状は10cm以上の幅のあるものが主流で、現在の2〜5cmほどの組紐に比べると大分太かったようです。
武士の刀や鎧とともに発展した組紐
平安時代になると京都の雅な装飾文化に組み込まれ、縁起の良いとされる吉祥柄や花柄を取り入れるため、多色染めや複雑な組み方が発達しました。
こうして京都で発展した組紐は「京組紐」と呼ばれ、現在も受け継がれています。また、伸縮性や耐久性に優れてた組紐は、武士の刀や鎧の実用的なパーツとして活躍するようになりました。刀を握る際に手が滑らないよう、凹凸のある組紐を柄に巻きつけて、そのまま腰から下げる下緒として使用されたり、伸縮性を利用して鎧のパーツ同士をつなぐ「おどし糸」としても多用されたのです。
江戸時代には、敵味方を見分けるために藩で組紐の柄が指定されていたため、藩ごとにお抱えの組紐職人が雇われていました。政治体制にも関わる重要な装飾品としての役割も果たしていたのです。
現在は、角台や丸台、綾竹台、高台などといった手組みの台で作る組紐のほかにも、1950年代ごろから導入された機械組みの生産により、長く均一な組紐を作る技術が確立。繊維メーカと組んで、新しい素材と技術によって挑戦を続ける組紐ブランドも出てきています。
和装文化の衰退とともに、携帯ストラップやバッグ、時計のバンドなど、現代ファッションのアイテムの装飾品として、再び活躍の場を広げる組紐。長く受け継がれてきた日本独自の文化は、組紐ブランドの創意工夫とともにこれからも発展を続けていくことでしょう。
こちらの記事に掲載されている価格は、2022年8月現在の情報です。
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