「偶然」と「必然」が織りなす輝き ── 箔装飾職人・宮城理美が挑んだ時計づくり
25-09-25
金沢の伝統工芸「金沢箔」を、現代の腕時計に宿す。400年以上の歴史を持つ技法と、現代的なデザイン、そして職人の感性が交差するとき、そこにはどのような物語が生まれるのか。Maker’s Watch Knotと箔一のコラボレーションによる新作は、その答えを示す存在だ。20年にわたって箔の表現を探求してきた箔装飾職人の宮城理美氏に、この小さな文字盤に込めた想いを語ってもらった。
20年をかけて到達した「箔と向き合う楽しさ」
「最初の5年くらいは、ほんとうに箔に振り回されてばかりでした。置きたいところに置けない、風が吹くだけで舞い上がる、呼吸でずれる。どんなに集中しても、最後に残るのは悔しさばかり。『私には無理なのかもしれない』と何度も思いました」
高校卒業後、すぐに箔一に入社した宮城氏。金沢箔の伝統を継承する企業でありながら、常に新しい表現に挑む箔一の現場は、若い職人にとって過酷でもあった。だが、創業者や先輩職人は彼女の「感覚」を信じ、挑戦の場を与え続けた。
「10年を過ぎたあたりからですね。素材を無理に支配しようとするのではなく、箔そのものの性格を理解し、寄り添うように扱うことを覚えました。そこから急に、箔が“相棒”に変わったんです。『ここなら光る』『この角度なら奥行きが出る』。そうした発見が重なり、仕事が楽しくなってきました」
20年という年月を経て、ようやく「箔を思うように貼れるようになった」と心から言える。積み重ねた日々が、彼女の職人としての誇りを形づくった。
小さな世界に挑む──時計の文字盤という新たな舞台
日本の匠の業をいかした新たな時計を生み出すべく、Knotは歴史ある金沢箔を活用した時計の制作を箔一に依頼。互いに希望をすり合わせ、ノウハウを集約させてひとつの形に絞っていった。
「時計の文字盤は、これまで経験した中で最も小さな舞台でした。数センチの世界に、偶然性と必然性を同居させなければならない。少しの歪みが大きな違和感になる。最初は本当に怖かったです」
通常、彼女が手がけるのは屏風やパネルのような広い面。そこでは多少の誤差やムラも「味」として受け止められる。だが文字盤は違う。視線が集中するうえ、針が動くたびに表情が変わる。ほんのわずかなバランスの崩れが致命的になってしまう。
「まずはプラチナ箔を『切り廻し』で敷き詰めます。次に藍色の染色を施すのですが、この濃い色を乗せるのは初めての挑戦でした。試作では、ただの青い板のようになってしまったことも。『箔を感じさせるにはどうすればいいか』を徹底的に考えましたね」
結果、箔一独自の染色方法を活用することで、プラチナ箔の質感を残しつつ深い藍色を表現することに成功した。
「そのうえで行ったのが、『ちらし』です。竹筒に金箔やプラチナ箔を入れ、筒を降って散らしていく技法ですね。これによって偶然性を取り入れられるのですが、風や湿度に支配されますし、偶然の振り幅が大きすぎると狙った表現の中にまとまらない。いわゆる、歩留まりが低くなってしまうんです。だから最終的には、ピンセットを使ってある程度の大きさの箔を一粒ずつ置いていく方法と、細かな箔を散らすのと、両方を組み合わせる方法にたどり着きました。偶然と必然を両立させたわけで、私にとってはじめての経験となりました」
完成した時計を見た瞬間、宮城氏は胸を打たれたという。
「作業中はただの丸い板。でも、針やケースが加わって時計として完成してみると、想像以上にかっこよくなってくれました。力強くて、誇らしい。この仕事をしていてよかったと思いました」
箔一らしさとは「日常に寄り添う光」
箔一は1975年の創業。金沢箔を高級工芸の枠から解き放ち、生活に根付く存在として広めてきた企業だ。あぶらとり紙に金箔を使うといった革新的な試みは全国に知られ、食器や建材、化粧品など、多彩な分野へと箔を展開している。
「金箔といえば豪華絢爛なイメージが強いですよね。でも箔一は、日常にさりげなく光を添えることを大事にしている会社です。花瓶や器に少し箔をあしらうだけで、部屋の雰囲気が変わる。そういう“光”の力を信じているんです」
宮城氏もまた、その理念に共感している。
「小さな文字盤ですが、一粒一粒に愛情を込めています。つらいときに見て、『きれいだな』と思ってほしい。生活の中でそっと心を支える存在になればうれしいですね」
金沢箔そのものは450年の歴史を持ち、寺院や仏像に用いられてきたものだ。永遠や不変を象徴する素材を今回のように現代の腕時計に宿す試みには、特別な意義がある。
「この時計は、日本の伝統を守りながら、新しい挑戦に踏み出した作品です。海外の人たちにも、この美意識を感じてもらえたらうれしいですね」
実際に、今回のモデルは海外ユーザーからの反響も大きい。金沢箔を「光の記憶」として持ち帰る人も多く、文化交流の役割も果たしている。
「これまでで一番小さくて繊細な仕事でした。たった一粒の箔で印象が変わる。その緊張感と面白さを同時に味わえました。完成したときは、偶然と必然が重なり合った美しさに自分でも感動しました」
この時計を手にする人に向け、最後に彼女はこう語る。
「この子と一緒に生活して、ふとしたときに癒やされてほしい。世界にひとつしかない表情を持つ時計だからこそ、持ち主にとって特別な存在になるはずです」
一本一本が異なる個性を持つ「一点物」。それは単なる時計ではなく、職人の心と日本の美を宿した小さな宇宙だ。箔一と宮城理美の挑戦は、金沢から世界へと新たな美の物語を広げていく。
こちらの記事に掲載されている価格は、2022年8月現在の情報です。
最新情報は Maker's Watch Knot 公式サイト をご覧ください。